大東市の道標
大東市内では19基の道標・丁石を確認しています。
参考資料としては
「大東市文化財ガイドブック Ⅰ石の文化財」大東市教育委員会 H2年
市立総合文化センター(1200円)記念碑、石仏なども記載されてます。
1.古堤街道(諸福の道標)
ここから東へ向かうと「奈良、郡山、伊賀、伊勢」東高野街道を通り「京都、石清水八幡宮、星田妙見山」西へ行くと「大阪、住吉大社、堺」南に向かうと「八尾、久宝寺」と示している元治元年(1864年)の道標


2.古堤街道(赤井の道標)
大峯堂前の大峰山参詣の為に光明組が(明治18年 1885年)に建てた道標
「右大峯山三十三度道」の文字の左右に小さく多くを案内している(右側に住道、野崎、中垣内、日下、星田、八幡、山科、木津、左側に枚岡、生駒宝山寺、郡山、奈良、伊賀、伊勢)大阪では伊賀を示しているのがめずらしく古堤街道沿いの3基だけだと思います。


3.古堤街道(住道の里程標)
商店街のはずれにひっそりと建っている。大阪府が明治時代に建てた「古堤街道」と刻む里程標です
大阪府誌に古堤街道は「大阪市より大和の北部に通ずる捷路にして、大阪市北区相生町国道第二号路線より起こり、東成郡鯰江村、榎本村、北新開荘村及び北河内郡今津村、古宮村、南郷村、住道村等を経て同郡四條村大字中垣内山間に於いて左右に分かれ、右は短距離にして奈良縣生駒郡井駒村に通じ左は少しく東北に觸れ田原村大字上田原国界より生駒郡北條村に通ずるものとす。管内の延長四里十八町四十四間、沿道にして大阪市と住ノ道村との間は寝屋川の水路在るありて、中部河内に於ける運輸交通の便具はり物貨の輸送常に頻繁なりとす。殊に春秋の佳節に際しては四条畷小楠公、野崎観音、生駒山寳山寺等に詣づるもの皆本道に據るを以って亦須要の道路たるを失わず。」とある


MAP(カシミール3Dにて作成)

4.河内街道(野崎観音の道標)
西へ行くと野崎観音へ、北へ向かうと星田妙見山へと案内する天保8年(1837年)銘


以前は道が分岐する所に立っていた


5.河内街道(深野北の道標)
2基並ぶ大阪府が明治時代に建てた道標でこれは少し西の寝屋川に突き当たる所にあった


これは少し東、津の辺町の北からきて西南へ街道が曲がる所にあった



6.太子堂前の道標
東高野街道から少し入った専應寺にある太子堂の入口にあるが文化財ガイドブックによると元は少し北の野崎観音近くにあったようです


7.龍間不動尊への道標



8.中垣内地域の道標
東高野街道と古堤街道が交差する所にある道標でこれも龍間不動尊を案内


すぐ東には光明組が建てた大峰山参詣の為の道標の一つで嘉永2年(1849年)銘 北に行くと「京都、野崎観音、石清水八幡、柳谷観音」へ南に向かうと「大峯山」を案内している


古堤街道を東へ進むと電柱の脇に道標の断片があり「宝山寺、大阪」を示している


街道をさらに上って行くと2基の道標があり、左は明治時代に出来た新道、宝山寺迄58丁(6km程)


この少し先で古堤街道(中垣内越え)の旧道は阪奈道に出るがこの先旧道はほとんど消滅していて通れない
街道の少し南の民家前には丁石がある。移設されたものなのかは不明で宝山寺への丁石か?




大谷神社の常夜燈道標(高野街道沿いから移設)



9.竜間地域の道標
①少し北にある龍光寺を示す道標
ここより西へ向かうのが古堤街道で「田原、高山、木津、伊賀、伊勢」




②阪奈カントリー脇の道標
今はゴルフ場となり通れないが宝山寺への道があった


文化財ガイドブックによると付近には他に「いこまみち」と記す道標が有るようだが未確認

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四條畷市の道標
四條畷市内には18基の道標を確認しています。
四條畷市内には河内街道、東高野街道、清滝街道、古堤街道が通っていて道標のほとんどが街道沿いに残っています。
道標の資料としては「歴史とみどりのまちふるさと四條畷」四條畷市教育委員会発行
に拓本など石造物など詳しく記載されています。
1:河内街道の道標①(明治31年 1898年)[MAP01]


2:河内街道の道標②(明治35年 1902年)[MAP01]
妙法寺前


3:岡部川脇の道標(弘化4年 1847年)[MAP01]
北河内街道の岡部川畔にある。南へ350m程で蔀屋の清滝街道起点へ


4:清滝街道起点の道標 清滝街道道標①(延宝2年 1675年)[MAP01]
四條畷市内記年のある道標では一番古い道標です


5:東高野街道の道標①(弘化2年 1845年)[MAP02]
JR忍ケ丘駅の少し北にある道標で星田妙見を示す


6~8:東高野街道の道標②③④[MAP02]
東高野街道と清滝街道が交差する所には道標3基が並ぶ
地蔵光背道標(寛政10年 1798年)




9:東高野街道の道標⑤[MAP01]
市役所玄関脇にある。先の3つの道標と同じ東高野街道と清滝街道の交差点に在ったと思われる


10:東高野街道の道標⑥[MAP02]
東高野街道から別れ右に登って行くと龍尾寺があります
元は道の左側に在った。


11:清滝街道の道標①[MAP03]
清滝峠への登りの旧道分岐にあり、左へ行くと今は通れないが逢坂の集落で右に行く道は奈良、伊勢方面へと向かう清滝街道


12:清滝街道の道標②[MAP03]
旧街道のピークを過ぎた先の国道添いにある


13:清滝街道の道標③[MAP04]
下田原集落の三叉路にある墓碑を兼ねた道標(弘化2年 1845年)


14:清滝街道の道標④(昭和11年 1936年)
少し北の法元寺の耳無地蔵尊を案内する


15:清滝街道の道標⑤
清滝街道の刻字がある大阪府の里程標(明治36年 1903年)


16:清滝街道の道標⑥
大阪と奈良の府県境碑(大正8年 1919年)


17:古堤街道の道標①(大正12年 1923年)
大阪と奈良の府県境界碑


元は少し西の住吉神社前の旧道に在ったようだ


MAP01

MAP02

MAP03
MAP04

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寝屋川市の道標
寝屋川市内の道標
市史第2巻第五節「路傍の石造物」には18基の道標が記載されていまする。
私が確認している道標は市教育委員会保管の道標3基を除き17基です。
その内3基は現在見当たりません。
01:交野街道と小阪街道が交差する所の道標 MAP1
数年前に建物が変わり見当たらなくなっている


02:正立寺前の道標(本巌寺道標) MAP1
元は交野街道に在ったものだろう
三井村本巌寺は成田不動山の少し南、美井元町に在った寺で本巌寺を示す道標は市内に多く残っています。


03:交野街道沿いの道標(本巌寺道標) MAP1
正立寺の北100m程の交野街道沿いの水路脇に横倒しで置いてあったが現在見当たらない


04:高柳天満宮前の道標(本巌寺道標) MAP1
「牧方」は枚方の事だろう


05:教育委員会保管の道標(1)(本巌寺道標)
元の場所不明
[正] 左三井村本巌(寺)
[左] 右 大坂道
[右] 為先祖代々 施主 大坂西照⊡
06:教育委員会保管の道標(2)(本巌寺道標) MAP1
[正] すぐ三井村本巌(以下欠損)
[右] 為先祖代々 施主 大坂⊡(以下欠損)
07:教育委員会保管の道標(3) MAP2
萱島駅北側のに在った道標で寝屋川脇の駐輪場の近くに下部部分があったように記憶してます。
寝屋川市史に拓本の記載があり刻字は
[正] 右 京 かたの 左 大坂 のさき 道
[左] 右 なら のさき みち
[裏] 施主 福井氏
08本巖寺墓地へ向かう道、入口の道標(本巌寺道標) MAP3


09:交野街道と河内街道との接点の道標 MAP3
交野街道が河内街道に突き当たるT字路にある
北に行くと八幡、枚方、星田妙見
南に行くと野崎 西に行くと大阪


10、11:堀溝にある大念寺の東、寝屋川市と四条畷市の境にある道標 MAP2
江戸時代と明治時代の2基の道標が並ぶ
三差路の四條畷側には清滝街道を示す延宝三年(1675年)の道標がある




12:河北大神社(大神社)境内の道標 MAP2
寝屋川市の南部の河北大神社内にある
少し東の清滝川のほとりに在ったようです


13:大谷墓地の道標 MAP4
JR星田駅の南西にある大谷墓地にある墓碑を兼ねた道標
裏目面に辞世の句があるが判読できず


14:寝屋集落内の西蓮寺境内にある道標 MAP4
山根街道脇の西蓮寺内にあり。元は集落の麓の府道18号線附近に在ったと思われる
くらじのたきとは交野市にある源氏の滝のこと


15:東高野街道打上の道標(1) MAP5
安政四年(1857年)の道標


16:東高野街道打上の道標(2) MAP5
15の道標の向かいの常夜燈脇に在ったが現在見当たらない
南東に奈良、伊勢道を行くと石宝殿古墳がある


17:明光寺の道標 MAP5
明光寺に入り右側にある。享和三年(1803年)銘で元は東高野街道沿いに在ったと思われる。
なお明光寺入口には「雷神石」境内には「十三仏板碑」があります。何れも弘治三年(1557年)


18:正縁寺境内の道標 MAP5
寺に入って左側の一角に石造物が多くありその一つが地蔵光背型の道標、刻字はかなり摩滅しており判読できなかった。


19:薬師寺前の道標 MAP1
寺入口横の小祠内にある地藏光背型の道標
何処に在ったのだろうか


20:本巖寺霊園入口の道標(本巌寺道標) MAP3
墓地入口の生垣の間にあり上部欠損


MAP1

MAP2

MAP3

MAP4

MAP5

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門真市の道標
門真市内には現在古川沿いの枝切街道(小阪街道)附近に道標が残っています。
「目で見る門真市の歴史」(1986年発行)には7基の道標の写真が載せられていますが
現在はその内4基を確認しています。残る3基のうち1つは寝屋川市の教育委員会に保管
1基は現在は鶴見区に属しています。もう1基は大和田の関西スパー附近に在った東洋社(日本トラクター)にあった守口街道の石標ですが所在不明です。
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守口街道と枝切街道との接点には明治38年の大阪府が設置した道標


古川の東側には常夜燈型の道標、竿柱は再建されている


ひえ島町には能勢妙見信仰の鵜飼講による明治24年の常夜燈道標


堤根神社前には各所を示す道標
近くの街道の三叉路に在ったものだろう
北へ向かうと 「佐太、枚方、八幡、伏見、京都」
東へ向かうと「野崎、住道、奈良」


萱島駅北側のに在った道標で寝屋川脇の駐輪場の近くに下部部分があったように記憶してます。現在は寝屋川市教育委員会にて保管されているようです
寝屋川市史に記載があり刻字は
門真-05
[正] 右 京 かたの 左 大坂 のさき 道
[左] 右 なら のさき みち
[裏] 施主 福井氏
鶴見区焼野の道標
門真市との境界付近 茨田北交番前の道標


常称寺町に在った東洋社(日本トラクター)内(現在関西スーパー)の道標は所在不明
門真06 目で見る門真の歴史掲載の写真

MAP01

MAP02

MAP03

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守口市の道標
守口市内には現在9基の道標を確認しています。
参考資料:「大阪の街道と道標」武藤善一郎氏
「研究紀要 第6冊」大阪市立博物館
「歴史の道調査報告書 第4集 奈良街道」大阪府教育委員会
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守口から南へ放出方面へと向かう道筋(放出街道)にある大正年間の常夜燈型の道標



守口市駅の北にある少し高い所を通る京街道に残る道標、この道標から右に入り門真市を通り四條畷方面へ向かい(守口街道)野崎観音、奈良へ



京街道を進むと難宗寺前に2基の道標
一つは文政13年(1830)銘の道標(元号がかわり天保元年)京と大阪を示す道標で2つに折れて残っていて下部には最初確認した時(1984年)は年号が確認出来たがいつの頃か年号部の一部が欠損している。写真は1984年


もう一つは大阪府内各所に残る大阪府が明治時代に設置した道標の一つで守口街道と示す道標はこの先、守口街道沿いには門真と寝屋川に1基づづ残る。門真市には今は見られないがもう1基有ったようだ。難宗寺前の通り向かいには以前は気づかなかったが東海道と記す道標がある


八雲小学校内には旧街道沿いに在った道標が保存されている。見落としたが左の文字の上に指差しがあるようだ



佐太西町には淀川の渡し場を示す標石がある。昭和48年まで佐太から鳥飼西へ淀川の渡しがあった。


佐太天神社の鳥居脇には旧京街道沿いに在ったと思われる万延元年(1860)の道標
神社横から交野、倉治の滝(源氏の滝)、星田方面へ交野街道がのびる
追記 70年代に撮影した写真を見返していたら元は府道13号線の金田町4丁目の交差点にありました。(2023.9.12追記)



藤田町の弥治右衛門記念碑のある広場の道標


説明板があり

道標として設置されたのであれば刻字内容から十字路で元は少し南の大蔵橋跡付近ではないだろうか。道標前の南北の道は小坂街道で南へ向かうと徳庵、大阪で北へ向かうと佐太、京都、東へは清滝峠を越え奈良、伊勢方面、西へは一津屋か江口の渡しを経て吹田、中山寺へとなるのだが

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