大阪の道標

大阪近郊の道標を紹介します

守口市の道標

守口市内には現在9基の道標を確認しています。

参考資料:「大阪の街道と道標」武藤善一郎氏

     「研究紀要 第6冊」大阪市立博物館

     「歴史の道調査報告書 第4集 奈良街道」大阪府教育委員会

     「歴史の道調査報告書 第5集 京街道大阪府教育委員会

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守口から南へ放出方面へと向かう道筋(放出街道)にある大正年間の常夜燈型の道標

守口市駅の北にある少し高い所を通る京街道に残る道標、この道標から右に入り門真市を通り四條畷方面へ向かい(守口街道)野崎観音、奈良へ

京街道を進むと難宗寺前に2基の道標

一つは文政13年(1830)銘の道標(元号がかわり天保元年)京と大阪を示す道標で2つに折れて残っていて下部には最初確認した時(1984年)は年号が確認出来たがいつの頃か年号部の一部が欠損している。写真は1984

もう一つは大阪府内各所に残る大阪府が明治時代に設置した道標の一つで守口街道と示す道標はこの先、守口街道沿いには門真と寝屋川に1基づづ残る。門真市には今は見られないがもう1基有ったようだ。難宗寺前の通り向かいには以前は気づかなかったが東海道と記す道標がある

八雲小学校内には旧街道沿いに在った道標が保存されている。見落としたが左の文字の上に指差しがあるようだ

佐太西町には淀川の渡し場を示す標石がある。昭和48年まで佐太から鳥飼西へ淀川の渡しがあった。

佐太天神社の鳥居脇には京街道沿いに在ったと思われる万延元年(1860)の道標
神社横から交野、倉治の滝(源氏の滝)、星田方面へ交野街道がのびる

追記 70年代に撮影した写真を見返していたら元は府道13号線の金田町4丁目の交差点にありました。(2023.9.12追記)

藤田町の弥治右衛門記念碑のある広場の道標

説明板があり

道標として設置されたのであれば刻字内容から十字路で元は少し南の大蔵橋跡付近ではないだろうか。道標前の南北の道は小坂街道で南へ向かうと徳庵、大阪で北へ向かうと佐太、京都、東へは清滝峠を越え奈良、伊勢方面、西へは一津屋か江口の渡しを経て吹田、中山寺へとなるのだが

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